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サーティンキュー

日本は鬼(カミ)が支配する国である!


★日本は鬼が支配する国である。鬼が支配した反キリシタンの江戸時代は約300年の平和があったが、キリシタンが神道を偽装して創作されたカルト天皇教に支配されてからの日本は日清・日露・第一次世界大戦とキリシタンの手下となって戦ったが、最後は広島と長崎に原爆が落ちて英国が創った大日本帝国は終わることになった。



★広島にナゼ?原爆が落ちたか?それは今のところ、当時の広島に軍港呉(くれ)があり、そこで戦艦大和を造っていたからとしておこう。もっと深い理由があるはずだが、それはまだ解からない。



★長崎にナゼ?原爆が落ちたか?それは当時の長崎で戦艦武蔵を造っていたというより、日本のキリスト教の中心が長崎だから、原爆が落ちたと鷲は考える。長崎はザビエルと関係が深いし、また、武器商人グラバーとも関係が深い。長崎に原爆を落としたのは米国だと誰もが思っているが真犯人は『 鬼 』である。



★鬼と漢字で書いて『 カミ 』と読ませるのが九鬼文書。鬼は創造的破壊者であり、鬼の妻は般若のお面で表現されるが、あれが日本に、元々、グノーシス(根本的知識)が存在した証拠である。般若のお面とは日本的なグノーシスの象徴である。鬼は数字の『 6 』の世界を破壊し、数字の『 9 』の世界を創り出す力の源であり、太陽神(魂)の別名が鬼である。鬼という存在の真実を考え、書いていきます。





1、鬼は数字の6の世界を破壊する数字の『 9 』の者達と一体化している太陽神だが、キリスト教の神は数字の6の者達の妄想の神である!



★鬼は破壊者である。戦争、大地震、原発、台風、雷、あらゆる破滅的な事件、などあらゆる破壊的活動の本源は鬼から来る。それに対してキリスト教の愛と光と慈悲のイエスキリストは数字の6の人間の妄想が創りあげたものであるから、人間に異常に優しい。しかしその愛と光のイエスキリストは実在しないのだ。



★聖書自体が、バビロンの「ベルの目」、グノーシス文書を人間が書換えたものだから、聖書を信じることじたいが、人間の妄想の世界に落ちることになる。そして聖書を信じている限りは、「発展途上の神」である人間が神に成ることはない。将棋で云えば、永遠に「歩兵」で止め、けして「裏と」にしない書物が聖書であるのだ。



★1930年代は世界的に鬼の子が出現して破壊活動をした時代であった。まず日本の1930年代の前半、それは昭和初期だが、テロリストの時代であった。5,15事件、2,26事件、血盟団事件など。そして大陸に渡った関東軍は満州国を建国して日中事変にてアジアの民族の奴隷解放の戦いをして、ドイツではナチスヒットラーが台頭して、ユダヤ人を弾圧して、世界大戦を始める。



★戦後70年間、否定され続けた関東軍とナチスヒットラーだが、彼らこそが、鬼(カミ)の子だと鷲は見ている。ナチス親衛隊のSSは髑髏とルーン文字シッグのマークを身につけていたが、髑髏とは西洋的な鬼のシンボルである。鬼は破壊者だが、それは6の「人間的なる世界」を破壊し、9の「神々の世界」を創り変えるための『 創造的破壊 』であるのだ!ルーン文字シッグは稲妻であり、人間的な世界を稲妻の力で破壊するシンボルである。



★戦争、ファシズム、関東軍、ナチス、青年将校、血盟団、その他1930年代前半に出てきた鬼(カミ)の子を戦後70年間、世界が否定し続けたが、それは戦後70年間は、太陽が隠れた『 夜の世界 』だったからだ。しかし今は1930年代の前半と同じく太陽神が鬼として現れてきたのだ。その太陽神が鬼として出現している現象が、様々に報道される破壊現象であり、鬼の妻のグノーシスがPC、スマートフォンという形で現れている。この鬼女、つまり般若女は、知識によって6の世界の妄想を打ち砕く力を持つ!






2、平和宣言するのはキリシタン。鬼道の者は戦争を起こす!



★20世紀最初の世界的なベストセラー本はセリーヌの『 夜の果ての旅 』である。彼は1930年代、ナチスを応援したパンフレットを書いたということで、戦後は『 呪われた作家 』と呼ばれた。そして戦後しばらく彼の本は発禁となっていた。だから今の日本人はセリーヌという作家の名を知らない。彼は世界のあらゆる価値観にノンと否定した作家である。墓には「ノン(否定)」という文字が刻み込まれている。セリーヌはグノーシス主義に成ることが出来なかったことが悲劇である。だから世界の表面的な価値観を否定し続けたが、さりとて、絶対的な数字の『 9 』の価値観を得ることもできず、否定のための否定で人生が終わった。



★数字の『 6 』の獣の人間が創作した価値観は全て否定される運命である。愛、光、自由、平等、人権、平和などの単語をいくら並べても虚しい結果となり、敗北の人生で終わるだろう。価値があるのは太陽神(鬼)と結びついた『 9 』の価値観のみ。つまり漢字で『 旭 』と表現される価値観のみが本物である。その『 9と成った者たちの音楽 』が、「苦しみを通して歓喜を得る」のベートーベンの『 第九 』であるのだ!愛、光、自由、平等、人権、平和などのキリシタンの妄想単語を信じても必ず敗北に終わる。そして金儲けだけが生き甲斐の人間となる。これが獣の『 6 』の人間であり、それはユダヤ化した人間だと言える。



戦争が悪で、平和が善、というのは戦後70年間に限定したウソの善である。戦前の日本人はそんなことは思ってなかったし、日本歴史全体からみても戦後70年間に限定される。毎年、8月6日と8月9日にやる日本の儀式は、『 戦争をやろうと思ったこと自体が悪 』という洗脳のための儀式である。つまりこれは『 日本人を永遠の奴隷にするためのキリスト教が仕組んだ儀式 』だと早く見抜くべきである。



★反戦平和を唱える者を多く見るが、まずは戦争に関して考えたことが一度もない愚か者ばっかりだ。「反戦平和」とはオウムのマントラと同じレベルである。戦争を否定して、平和の時代の正体とは、「お笑い」「オカマ」「拝金」の、軍人という存在を否定した価値観に支配された。





3、鬼とイジメの原理


★鷲はイジメとは『 神秘的な現象 』だと見ている。多くの者が一人をイジメる。非常に残酷な現象だが、日本人の誰一人としてこの現象を解明できない。しかし鷲は『 イジメの原理 』を解かったと思っている。この現象は、人間と魂を結びつける試練の現象なんだと。



★イジメとは学校の問題だけではない。社会人になっても、老人になっても、人間で生存する限りは『 ある 』問題である。しかし誰も解決できない。人権やら愛とかの言葉で濁すだけだ。愛、光、自由、平等、人権、平和とかの言葉は、キリシタンの言葉で無価値である。キリシタンは言うことは全て無価値と知っておく必要がある。



★1971年頃、ブルースリーの映画が世界的にヒットした。ブルースリーは一人で多くの人間と戦うが、必ず勝つのである。イジメ現象は、ブルースリーの映画の後の時代の現象である。それまでは集団が一人をイジメル、その現象はブルースリー映画の前には問題にはされなかった。



★全ての人間は鬼にイジメられる存在である。それは鬼が人間に『 勇気 』と『 真実の探求 』を発起させるために鬼は数字の『 6 』の人間をイジメている。


★イジメの問題で解かることは、イジメは本人が変わらなければ解決しないこと。本人が鬼に変わらないと解決はしない。親、センセ、学校、社会は無力であるということ。だからサヨク、社会主義者がイジメを語る時はナンセンスとなる。特に、あの「夜回りセンセ」はイジメの問題は学校の問題だと考えているあたりが浅はかすぎる。「夜回りセンセ」の夜回りは彼自身の「性的問題」だと鷲は直感した。



戦後の自由、平等、人権、平和というキリシタンの言葉はイジメ問題の解決にはけしてならない。イジメられている者が、ブルースリーに成った時に解決することだ。集団に鬼が憑いて一人をイジメているが、その一人が腹を決めて、ブルースリーに変身した時、その集団を撃退することができるのである。ブルースリーの映画が実は、イジメの解決であったと鷲は思っている





結び ~ 我々の心理の中にある鬼道とキリシタンの戦い



★キリシタンの言葉が現実的な問題が起きた時、無力だと解かる。それは「イジメ問題」が代表的である。愛、光、自由、平等、人権、平和などの言葉は現実のイジメ問題には一切無力である。イジメられている者が鬼となって(ブルースリーとなって)初めて解決できる。



★豊臣秀吉と徳川家康がキリスト教を禁止したのは、キリスト教がウソの教えだと見抜いたからだろう。しかし戦後70年間の日本人はキリスト教が見抜けなかった。キリスト教は、日本国憲法の自由、平等、人権、平和、国民主権などの言葉に変わった。



★その言葉を信じているのが、坂本龍一、瀬戸内寂聴、宮崎駿、大江健三郎などの大家と言われるバカ者たちである。彼らは日本国憲法を信じている、本質はキリシタンであるのだ。



鬼がイジメ問題を起こしている。しかし鬼は解決策をブルースリーの映画で示した。イジメられた者は、『 何が真実で何がウソか? 』、それを学び、鬼と一体化することで、解決する。なぜならイジメは『 鬼の子 』に成るためのイニシエーションだからだ!



キリシタンとはウソの言葉の聖書を信じるバカ者である。我々はウソの言葉の聖書を否定して、聖書の源のグノーシス暗号文書に戻り、また、腹に鬼を入れてブルースリーに変身して、鬼の子、に成るべきだ!人間とは『 発展途上のカミ 』であり、イジメ問題の真実を理解出来ない者は、鬼(カミ)の子にはなれない!

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補足

★相撲の最後の一番を『 結び 』の一番というが、鬼(カミ)と結びつくための戦いを『 相撲 』がシンボルで表現している。我々に襲ってくる様々な災いは目に見えない鬼(カミ)が起こしいる。親、センセ、社会、金でその災いを解決することはできない。我々の中にある目に見えない『 鬼の云う 』ことに従うしかない。その『 鬼の云うこと 』を【 魂 】という漢字で表現しているのだ。鬼(カミ)の云うことを勇気を持って従うと鬼は我々の腹の中に入ってくる。布袋様の腹が妊娠腹なのは鬼(カミ)が腹の中に入っているという表現であるのだ!鬼太郎の目玉親父が鬼の表現であるが、鬼太郎は鬼(カミ)が頭の髪の毛の中に存在すると表現しているが、布袋様は腹の中に鬼(カミ)が入ってくると表現した。鬼(カミ)との【 結び 】は頭、腹のどちらも正しいのかもしれない!





by xuzu9851 | 2015-07-30 13:46 | Comments(0)
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