サーティンキュー

2017年 04月 17日 ( 1 )


鏡餅の別バージョンが聖母子像である!









★キリスト教では聖母マリアを崇拝するが、このマリア崇拝はグノーシスから来たものだ。キリスト教はカルタゴ会議やニケーヤ会議など、人間の話あいの会議で出来た人間が創作したカルトであり、長い期間、女性を蔑視してきた。それは旧約聖書の記述でイブが蛇に騙されてリンゴを齧り、失楽園に堕ちた、と記述されているからだ。女は堕落した存在だとキリスト教は思い込んできた。現在の古典的なキリスト教でもその感覚はあるかもしれない。



★しかしキリスト教は80以上のグノーシス文書から出来たカルトである。親であるグノーシスは最初から女神崇拝である。女神が偉大な知識(グノーシス)を人間に与えるものだと考えてきた。グノーシス(知識)は女性に属すると、最初からグノーシスは主張してきた。男性が女装するのは、女が持つ知恵と知識を盗む!ということから始まったのだ。



★出口鬼三郎は自分のことを「変性女子」と呼び、自分の本質は女である!と発言していた。肉体が男は本質は女であり、肉体が女は、本質は男、だと考えた。で、鬼三郎も女装していたのだ。そして出口ナオのことを「変性男子」と読んでいた。



★キリスト教が愚かなのは、夜の闇の中に誕生したカルトであるからだ。夜の闇の中に生きる者たちは、グノーシスという月光の白い光を理解することはできない。グノーシスとは女性崇拝であり、月光崇拝であり、大地母神を崇拝し、上昇する蛇神を崇拝する。一度、女神という蛇の中に飲み込まれ、知識を得て、新しい太陽神を腹の中に誕生させる!というのがグノーシスである。



★グノーシスが崇拝した聖母子像を盗んだのがキリスト教だが、聖母子像の真の意味はキリスト教徒である限りは理解できないだろう。グノーシスの者にならないとあの聖母子は理解できないし、キリストの誕生の本当の意味も、キリスト教徒である限りは解らない。キリスト教徒は懺悔して存在しないイエスキリストに祈ることしかできない。人間を廃人にするのがキリスト教という約1600年間の人類の妄想である。



★聖母子像は日本に来ると【 鏡餅 】に成る。聖母子像と鏡餅は全く別のものだと全て人々は思っているが、本質は「新しい太陽神(ミカン)を誕生させる白い月の女神(白い2枚の餅)」ということで同じ意味であるのだ。その辺を今回は書いていきます。





1、「月光という白い光」と「新しい太陽神の誕生」とキリスト教という闇








★西洋式の結婚式では、花嫁は白いウエディングドレスであり、チベット密教のハネムーンを表現する絵は白い全裸の女がブッダに抱かれる絵である。太陽神が人間に教えを垂れる時、常に芸術作品として右脳に訴えるイメージで教えを垂れている。



★太陽神の教え方は、けして優しい言語ではない。「世界平和」とか「愛は世界を救う」とか「反戦平和主義」とかの「数字の六」向きの言語ではない。それらの言語は、人間を騙す、闇の神であるテスカトリポカの言語感覚である。それらの言語に騙された者が今の宗教の信者たちであるが、必ず、敗北の人生となる。



★シンボルを正確に解読できる者にとってはゴッホの絵もピカソの絵も日々起きる事件もあらゆる出来事が太陽神の教えのシンボルとして認識でき、それはキリスト教徒が信仰する「ウソの書である聖書」とは比べることができないほどの深い意味があり重要であるのだ。



★太陽神の教えが言語である場合は、謎の言語となる。ノストラダムスの諸世紀のような言語である。或いは「 9の字事件 」のような数字の【 9 】のみ。一つの記号のみ。



★花嫁の白いウエディングドレスは夜の頭上に光る唯一の光の白い月を表現し、花婿の男性の服装が黒なら、その黒の意味は六殺し(ロクゴロシ)の意味がある。人間は数字の【 9 】に成らねばならない存在。黒の意味は、6を殺す火の力である。それが解らないから、あらゆる現象が不条理だと多くの人々が思う。



★我々は夜の闇の中にいる。20世紀最初のベストセラー作家であり、戦後は発禁処分の呪われた作家のセリーヌの代表作は「夜の果ての旅」だが、このタイトルどおり、我々は「夜の果ての旅」をしている。唯一の光は頭上の白い月光なのだが、それに気づく者は殆どいなく、最後は、哀れな敗北の人生を送るもんだ。それは現代の日本の老人たちを見れば解ること。



★真実を探求することは、頭上の月光の白い光を追うことである。夜の中の光は月光しかないからだ。その月光を日本では鏡餅の白い餅で表現し、グノーシスは聖母マリアで表現して、グノーシスの月神のマリア崇拝をキリスト教は万引きしたということ。



★しかしキリスト教は聖母マリア崇拝の意味をいまだに分かってない。そして初めから理論的には破綻しているのがキリスト教である。キリスト教の理論は破綻しているが、信仰という精神の狂気でいまだに推し進めているのがキリスト教だ。彼らに言わせれば、そのように上から教えてもらったからいまだにやっている、という理屈だろう。



★キリスト教の全てはグノーシス運動からの万引きだが、キリスト教は愚かにもグノーシスを弾圧した。そして約1600年間も人類の多くを妄想の世界に導いているのだ。キリスト教徒とはバカものである。それを鷲は確信している。キリスト教徒がバカ者だからイエズス会の聖地の広島と長崎に原爆が落ちたと鷲は確信している。



★夜の闇の中の唯一の光は白い月光である。白い月光を探求する果てに、我々の内部に新しい太陽神を妊娠する。新しい太陽神を腹に誕生させた者が【 九鬼(クカミ) 】であり、布袋の妊娠腹、狸の置物の妊娠腹であるのだ。数字の9は【 妊娠腹で新し太陽神の誕生 】で表現される。札幌の狸大明神の右手の杖は「上昇する蛇」であり、左手の大福帳はグノーシス(知識)であり、キリスト教が嫌う、蛇と知恵の木を表現している。



★キリスト教の間違いは妄想のイエスキリストを崇拝していること。グノーシスの目的は真実の探求(白い月光の探求)の果てに、見ずからの腹に「 油を注がれた者(キリスト)である新しい太陽神を誕生させること 】である。キリスト教という邪教を終わらせることが鷲の今の目的である!



★グノーシス主義者とキリスト教の違いを簡単に言えば、グノーシスは真剣な真実の探求、それは白い月光の探求、女神の知識と知恵の探求とも言えるが、その真実の探求の果てに、自らの内部(腹)にキリストという「油を注がれた太陽神、又は、太陽神の幼子」を誕生させること。



★しかしキリスト教徒は、2000年前の「お話し」のイエスキリストという存在を盲目的に信じるのみ。真実の探求をキリスト教徒は一切しない。信じるのみ。グノーシス主義者は真っ当な人間であるが、キリスト教徒とは信仰という狂気を生きる基地外であること。この約1600年間のキリスト教徒のような存在が全てのカルト信者の本質である。それがグノーシス主義者とキリスト教徒の違いである。

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補足


★反キリスト教の言説は今では、簡単に手に入ることができる。例えばバート・D・アーマン著「捏造された聖書」を代表にして。しかし鷲はかなりの本格派なのだ。ギリシャ語の新約聖書でイエスの処刑の時間が、正午6時から午後9時、の意味を問題にして書いているからだ。それをやっているのは、世界で鷲だけ。誰かのマネではなく、鷲のオリジナルだから。



★カルトの信者とは廃人ということ。カルトの信者とは謎や真実を探求しない人間。ニセモノに騙された人間である。カルトの信者になってはならない。常に真実を探求する、白い月の女神を追いかける探求の者に成らないといけない。



★白い月の女神を探求した果てに、ハネムーンが起きて、腹に太陽神(キリスト)が誕生する。それが布袋様や狸の置物の妊娠腹の意味である。真剣に真実(白い月を追い求める)を探求する者だけが、ウソ教でありカルトのキリスト教の真実(ウソの神を崇拝するカルトの真実)が解り、そして、何もかもが解るのである!




 完


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by xuzu9851 | 2017-04-17 09:35 | Comments(1)