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サーティンキュー

二発の原爆は日本イエズス会の聖地に落ちた!





★イエズス会でポルトガル人の宣教師コーロスは、慶長9年(1604年)、広島に教会を建て、中国地方一円にキリストの布教活動を行なった。そして1908年再来日したイエズス会は広島を中心にして活動をした。長崎は日本キリスト教の中心地であり、長崎の平戸で、スペインで生まれでイエズス会創始者の7人の内の一人であるフランシスコザビエルが1550年に布教をしている。



★広島も長崎もキリシタン(イエズス会)と深い関係がある。そして太平洋戦争中、広島の軍港呉では戦艦大和を造り、長崎では戦艦武蔵を造っていた。二発の原爆はどうして広島と長崎に落ちたのか?その謎の解明に挑戦します。





1、軍事的キリスト教のイエズス会とはオウム真理教の先輩である!


まず最初に結論を言えば、広島と長崎に落ちた原爆はもちろん日本の地に落ちたわけだが、現人神天皇教信仰で『 日本人を支配していたイエズス会 』に二発の原爆が落ちたのではないか?そしてイエズス会こそがユダヤ世界征服神話の本命のユダヤではないのか?イエズス会はキリスト教を乗っ取ったユダヤ教が化けたもの(マラノ)ではないのか?だから反ユダヤ主義のナチス製の原爆がイエズス会の聖地の広島と長崎に落ちてきたのでは?という鷲の閃きから書いていく。



★イエズス会とは1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ聖堂(現在のサクレ・クール聖堂の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てたことから始まる。



★長州とはイエズス会が潜伏し、イエズス会化した藩であったと考えれば吉田松陰の世界侵略思想も理解できてくる。



★イエズス会を知るために図書館で借りてきた本は以下。

  高橋裕史著「イエズス会の世界戦略」
  小岸昭著『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン」
  安野眞幸著「教会領長崎~イエズス会と日本」
  立花京子著「信長と十字架」
  斉藤忠著「キリストになろうとした魔王信長」
  明智憲三郎著「本能寺の変、431年目の真実」
  藤田達生著「信長革命」
  平山優著「天正壬午の乱~本能寺の変と東国戦国史
  津山千恵著「日本キリシタン迫害史」

 である。



★全部は読めないがペラペラと目次を見ているだけで閃きが出てくる。で、閃いたのは、軍事的キリスト教団のイエズス会とは、オウム真理教の先輩だなぁ~という感想である。イエズス会と云うとあまりにも遠いが、オウムと云うと、鷲は良く知っている妄想集団であるのだ。それに五井野正教を加えたのが、イエズス会だと鷲は直感した。



★まずイエズス会は『 イエスの磔の十字架の意味が解からず、妄想のイエスを信じて、殉教主義である 』。歴史が長かろうが、グノーシスによってできたイエスの磔の十字架像の意味をイエズス会はずっと勘違いしている。いまだに勘違いしているだろう。



★考えてみれば、今ある世界のキリスト教の全てはあの十字架のイエス像の意味が解かってない。だからグノーシス主義になれなかった者達、グノーシス主義の落ちこぼれが、キリスト教徒に落ちている、ということ。



今はグノーシスの時代である。それは『 林檎を齧るジョブスの会社(アップル)のあのマークが世界で普及している 』ことで解かる。何度も書いたが、キリスト教徒とはグノーシス主義者になれなかった落ちこぼれ!であるのだ!グノーシス主義者はホームズや明智小五郎のように謎を解明するが、キリスト教徒は妄想のイエスを信じるのみ。そしていかに伝統があろうが、キリスト教はオウム真理教や五井野正教と同じレベルということ。妄想の神を信じているのが同じと云うこと。






2、軍事的キリスト教のイエズス会に担がれた織田信長は、今で言えば、オウムの麻原彰晃だったか?
  

★オウム真理教事件をいまだに誰も解明できないのは、それを遡ると、織田信長を持ち上げたイエズス会の存在までいくからだ。もちろん、サヨク小児病患者の江川紹子や妄想家のコシミズでは解明できない。オウム真理教とはイエズス会がした、日本人への精神侵略まで考えないと解からない。



古代の宗教はバアル(鬼道)教のみである。鬼道はすでに忘れされたかに見えるがいまだに現役である。バアルは鬼太郎の目玉親父に姿を変え、日本人には誰でも知る存在である。内なる鬼(カミ)と結びつくのが人間の目的であり、それは鬼太郎が目玉親父と一体化している姿で表現されている。バアルの名は日本ではスサノオであり牛頭天王であり、朝鮮では檀君であり、古代エジプトではオシリスである。



日本は鬼の国である。いまだに鬼(カミ)が支配している。最近、火山活動が激しくなってきたのは、鬼が降臨してきたからだ。そして様々な猟奇事件も鬼の降臨と関係がある。



★さて、織田信長に関してはそれほど研究してはいない。しかしこれからの鷲の歴史研究のテーマはイエズス会がポルトガルからやってきて、日本を霊的にも物質的にも征服しようとしてきた時、信長、秀吉、家康はどのように戦い、そしてキリスト教を禁止した260年間の江戸時代があり、そしてイエズス会化した長州が徳川を破り、新興宗教・天皇教で日本を支配し、そして広島と長崎というイエズス会の聖地に原爆が落ち、そして日本国憲法という聖書まがいのウソ文書で70年間も日本を支配してきた歴史を語ろうと思っている。



★鷲の宗教体験は1980年代に様々なカルトと出遭ったこと。実はそれで十分であるのだ。500年前のイエスズ会を文献研究で妄想しても絶対に解からない。しかし「イエスの軍隊」であるイエズス会は地下鉄サリン事件のオウム真理教で出現してきたのだ。それには確信がある。イエズス会とは非常に世俗的なカルトであった。神を信じていたのか実は解からない。世俗的すぎるから。それがオウムと同じだということ。



イエズス会の二枚舌性は1995年のオウムの上祐そのものである。本当に神を信じているか?それとも金が欲しいだけなのか?イエズス会の信じている神はウソ神だと今の時点で断言できる。それはなぜか?イエスの磔のあのシンボルの意味がイエズス会は全く解かってないから。麻原が、自分の風呂の残り湯を信者たちに7万から8万で売っていたが、それと同じ感性をイエズス会の本を読んでいるうちに感じてくる。


★織田信長については、もうちょっと本を読んでから結論を書きたいが、信長が天下統一まで行ったのは、イエズス会の力によるものであるのは間違いない。イエズス会に担がれたのが織田信長である。イエズス会の目的は、精神的にも、物質的にも日本を支配すること。イエズス会の目的は「世界征服」である。それはイエズス会自身がハッキリと表明していること。



★まずは、織田信長とは麻原彰晃のような存在だった!と今のところ、鷲の結論とする。




3、戦国大名のホモの大内義隆の精神を受け継いだ隠れキリシタンが、長州をイエズス会化させ明治維新という南朝・百済革命&イエズス会革命となる!



★イエズス会とは何か?それを本などを読んで妄想しても果てしない妄想に終わることだろう。しかし1980年代後半のオウム真理教の出現とは、今の時代にイエズス会の本質が出現したものだと鷲は思っている。イエズス会とは1534年に設立したプロテスタントの対抗としてできたカトリック系の修道会である。


イエズス会の特徴は


 1、妄想のイエスキリストを信じる

 2、貿易(商売)に熱心で非常に世俗的である

 3、軍事組織である

 4、当時の大国、ポルトガルから援助金などの保護を受けている。

 5、キリスト教で人間の精神を侵略し、軍事力で物質的な侵略もする

 6、創始者のロヨラとザビエルはユダヤ教(つまりユダヤ人)からの改宗者のマラーノである

 7、世界征服を目指し、世界に布教する偶像破壊の一神教である

 8、世界的な情報システムを持つ

 9、神を信じているのか?神を信じるふりをしているのか?かなり怪しいが、異教徒を精神と物質の両方で侵略しようとしている




妄想の神を信じる、商売熱心、軍事組織、世界に布教し世界征服を目指す、まさにオウム真理教ではないのか!?人間を精神的にも物質的にも侵略するのがイエズス会であり、オウム真理教も同じであった。そしてイエズス会を信じた者は幕府によって弾圧されカクレキリシタンとなったが、今のオウム信者もカクレオウムでしか生きていけない状況である。



イエズス会の教えは奥が深くない。インチキカルトである。それはイエスの磔の像の意味を全く理解できなかったし、捏造された聖書を盲信している。イエズス会の信者は妄想のイエスを信じているだろうが、幹部は金儲けだけが目的だったかもしれない。そしてイエズス会の創始者の代表的な二人(ロヨラとザビエル)はユダヤ人である。ユダヤ世界征服の神話は、イエズス会の世界征服の精神からくるものだ。イエズス会はハッキリと世界征服を目指すと文章で残しているわけだから解かりやすい。



★長州を考える時、ホモの大内義隆という戦国大名を考える必要がある。彼は朝鮮半島の百済の血脈であり、ザビエルの布教を日本で始めて許した戦国大名である。つまり長州とは大内義隆の精神でできていると解読できる。明治維新とは南朝革命(百済革命)であり、潜伏したイエズス会精神の軍事的キリスト教で日本を支配する革命であったと。イエズス会の軍事的なキリスト教が明治に誕生した新興宗教である天皇教の正体であった!





4、広島に原爆が落ちたというより、戦国大名の中でイエズス会の布教を最初に許した大内義隆の領地に落ちた!



★大内義隆とはどのような人物か?それは以下である。


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「大内義隆」(おおうち・よしたか - 1507~1551)とは、日本の戦国大名。周防国大内氏16代当主。大内義興の長男で、母は内藤弘矩の娘(正室)。子息は大内義長(養子)、大内晴持(養子)、大内義尊(実子)、問田亀鶴丸(=大内義教、実子)、大内義胤(実子)、大内珠光(実娘)。

名門・大内家の当主として、中国地方全域から九州北部にかけて絶大な影響力を持った大大名。出雲の尼子家と敵対して覇を競うが、文弱な性格が武断派の怒りを買い、クーデター(大寧寺の変)により当主の地位を追われて自刃した。後は養子の大内義長が継いだ。(実子の義尊は共に自刃。)

領内に数多くの御用職人や商人を抱え、大陸やヨーロッパ諸国から積極的に技術や学問、鉱物資源や兵器などを購入して領内発展と軍備増強を促進した。内政と外交、経済に通じた教養人だった。
義隆の死後に各地に流出した大内家の技術は、日本全体の物品生産や伝統工芸に大きな変革をもたらす。その手腕は歴史家界隈でも手放しで称賛されている。その反面、戦国大名としての軍事的功績は振るわず、晩年は文弱に陥って公家趣味と権威主義に耽溺してしまった。人格面の問題も多く、毀誉褒貶に満ちた人物である。


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このブログはかなりの長期戦となるので、だんだんと書いていきます。原爆は広島と長崎というイエズス会の聖地に落ちた。そして3,11の福島県は会津と昔は云ったが、ここもイエズス会と深い関係にあります。これを突き詰めて考えていくとコペルニクス的な歴史認識の転換になると予感!だから早急なバタバタ結論は辞めて、長期熟考して、正解をだします!





続く


by xuzu9851 | 2015-08-11 09:01 | Comments(0)
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