人気ブログランキング | 話題のタグを見る

サーティンキュー

カフカの『 審判 』とマスゾエの最後の顔




★マスゾエが6月20日に都庁で最後の姿を見せた。あの顔は「俺がなんで?こんなことになったのか?」という顔である。こちら(日本人全体)から見れば、マスゾエは逮捕されて豚箱に入るのが当然なんだが、本人は違法なことは何もないのだから、これだけ日本人全体から誹謗中傷されるのが不可解!という感じである。



★あのマスゾエの顔を見ていると100年前の小説、カフカの「審判」が思い浮かべた。銀行員Kが、ある日、突然、逮捕される。どんな悪いことをやったのか?まるで解らない。そしてどんなに抗弁しても許されず、二人の男に犬のように処刑される!という物語だ。



★マスゾエがどんな悪いことをしたのかは、マスゾエ以外の日本人は誰もが分かっている。政治資金規正法というザル法を利用しての回転寿司や美術品や本や書道道具の購入である。税金をザル法を盾にし利用しての私物の使い放題。この政治家のみの特権に日本人は怒っている。



★しかしマスゾエから見ればカフカの「 審判 」の主人公になったような、あの顔だった。で、20世紀の最大の文学のカフカの「審判」とマスゾエを考えて書きます。


ーーーーーーーーーーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/審判_(小説)#.E5.86.85.E5.AE.B9
『審判』(しんぱん、Der Process)は、フランツ・カフカの長編小説。1914年-1915年執筆。理由の分からないまま裁判を起こされた男ヨーゼフ・Kが、様々な立ち回りもむなしく無残に処刑されるまでを描いている。生前は発表されず、死後1927年にマックス・ブロートによって編集・公刊された(ただし作中の一挿話のみ、生前に「掟の門前」のタイトルで独立して発表されている)。結末部分が書かれているものの、途中の章は断片に留まっており全体としては未完の作品である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1606/21/news046.html
「文春砲」から1カ月以上にわたってサンドバック状態だった舛添要一東京都知事がついに辞表を提出した。常人ならばストレスで髪の毛がすべて抜け落ちてしまいそうな壮絶なメディアリンチも都議会の追及も、馬の耳に念仏という感じで受け流し、「五輪代表選手並にメンタルが強い」とまで評された舛添さんが、なぜここにきて急に心がポキンと折れてしまったのか。

ーーーーーーーーーー




1、マスコミや都民の声ではなく鬼(カミ)の意志がマスゾエを裁いた!


★人間が、『 魂(太陽)・霊(月)・肉体(地球) 』に分かれていることを知れば、「 週刊文春を代表にするマスコミや都民や日本人の声 」とは≪鬼(太陽神)の声≫だと理解できるだろう。WTガルウェイは人間を「セルフ1」と「セルフ2」に分けて、禅の全く新しい解釈をしたが、そのレベルは「 自らを分けるという意味の≪自分≫ 」の解釈としては、かなり幼いレベルである。



★自らの中にある太陽神、それが鬼である。そして『 魂 』という漢字は大乗仏教や神道の根源である鬼道から来ている。空海の表現なら魂とは胎蔵界の大日如来という表現になる。我々は肉体的にはそれぞれバラバラに見えるが、頭上の太陽は、日本でも韓国でも米国でも英国でも同じ『 一なる存在 』である。地球のどこへ行っても太陽は同じ、そしてそれは『 魂とは一なる存在 』ということ。



★太陽系に存在している我々の第一の課題は、太陽神、つまり鬼(カミ)をどう理解するか?それが太陽系に誕生した人間としての第一の課題。数字の『 9 』の者は太陽神と結びつき、数字の『 6 』の者は太陽神をまったく知らず、常に太陽神を足蹴にする。目玉親父(太陽神)を否定するキャラクターがゲゲゲの鬼太郎のネズミ男だが、ネズミ男の実写版のマスゾエはまさに太陽神が存在することを、いまだに気づかない人物である!



★ネズミ男として生きるとどうなるのか?それを表現したのが今回のマスゾエ問題。マスゾエは、日本にいながら日本人の全てに否定される存在となった。それはマスゾエの小学生以下の様々な『 ウソ 』によって。5月『 13日の金曜日 』に最初の釈明会見をやったマスゾエとは、太陽神を否定する者(ネズミ男)の運命を示すことだった、と鷲は思う。






2、カフカの『 審判 』 ~ 文学とは何か?


★文学とは何か?それは通常の芸術と同じく『 永遠のシンボル 』を打ち出すことである。文学とは何か?を考えると、『 言葉とは何か? 』まで到達する。言葉とは偉大である。『 言葉とは何か? 』まで行くと今は解答できないので、文学ということに限定することにする。



★鷲は芥川賞作家とか、直木賞作家とか、それらの商業主義には、一切騙されない。それは鷲には本の価値が十分解っているという自信があるし、常に良い本を探し求めているからだ。文盲と白痴ためのマスコミ宣伝の芥川賞なんかは、一切否定している。戦後の芥川賞の代表が石原慎太郎だし膿~www



★文学とは実は鷲の探求する分野である。アラビアンナイトから、ダンテの『 神曲 』、そしてゲーテやドストエフスキー。また今はシェークスピアの作品ほど解明したいものはない。しかし20世紀に限定するやっぱりカフカとなる。彼の「変身」「城」「審判」である。



★カフカの「ある日、突然、毒虫になる」とか「ある日、突然、逮捕される」とかの作品は、非常に解る!と言っておきたい。太陽系に属しているのに、地球の日本に住む者たちは、『 日本の掟が全てだと思っているが、太陽に裁かれる 』というのが彼のテーマだったと思う。カフカを引き継いだのがカミュだと鷲は思っている。



★20世紀の文学ではカフカの『 審判 』を鷲は第一とする。三島由紀夫の「仮面の告白」や「禁色」や「金閣寺」とかは週刊誌レベルのテーマにすぎないと鷲は見る。太陽系レベルのシンボル文学には三島由紀夫はなってない。それは彼が天皇に騙されたカルト信者の精神レベルだからだ。天皇陛下万歳と叫んで切腹して断首して死んだ三島由紀夫は、麻原彰晃に騙されて死刑になったオウム幹部のレベルにすぎなかった。



★マスゾエを考えると『 ある日、突然、毒虫になる 』、『 ある日、突然、逮捕される 』のカフカの世界である。マスゾエは本当は逮捕されるべき人間だが、ザル法によって逃れたように思うが、それはこれからは分からない。刑務所の方が楽園であると感じるマスゾエのこれからの生活を感じるからだ。



★文学が他の芸術と違うことは『 言葉が基本 』であること。言葉によって我々は考える。言葉によって「 こみいったことを説明することができる 」ということ。シンボル(芸術)という造形を創造する者たちに、しばしば感じる不信感は語学力不足である。自分の創作したものを説明できない語学力の不足である。



★1988年2月21日に起きた「 9の字事件 」の犯人たちは、自分達のやったことを説明できなかった。だから20数年経過して鷲は熱心に「 9の字事件 」の意味を語っている。鷲の語る『 9の字事件の真相 』が正解だと思っている。



★カフカの話に戻れば、20世紀世界文学の中で彼ほど「 シンボリック 」の者は存在しない。彼の物語は単純である。『 ある日突然、毒虫になる 』とか『 ある日突然、逮捕される 』で終わりの物語である。しかもその物語が現代の日本人のズバリの現実であるのだ。



★真面目に生きていると思っている多数の人間も太陽神から見れば『 必要ない存在 』であるのだ。それをカフカは『 変身 』と『 審判 』で表現した。100年間維持できる物語とは本物である。







3、太陽系に必要のない者は殺される!


★カフカの作品とは暗示文学である。簡単に彼の文学のテーマを言えば、『 太陽系に必要のない者は殺される! 』ということ。一生懸命に家族のために働くセールスマンや銀行員が主人公だが、彼らは毒虫になったり、わけのわからない罪のために犬のように殺される。



★我々の不幸は、太陽神(目玉親父)と分離した結果からくる。何かの製品を売ることに人生を賭ける者はいずれ太陽神から見放される運命である。人生の目的は何かの製品を売ることではないからだ。ゴッホの日葵のテーマは、太陽神に常に従う者になれ!ということ。それは目玉親父に従う鬼太郎になれ!ということである。



★マスゾエは日本人全体を騙そうとした。これが彼の最大の愚かなことだった。何人もの女を騙してきたマスゾエは、女のように日本人全員も騙せると思ったのか?というより、それがマスゾエの性癖というものだったのだろう。その結果、マスゾエは「 ある日、突然、毒虫 」となり、「 ある日、突然、日本で一番の愚か者の代表 」となった。



★カフカの表現した『 暗示文学 』は、現在の日本の現実を示す、第一級の文学として、今も生きているのだ。








by xuzu9851 | 2016-06-21 15:21 | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 金は滅びの元! 禅とテニスとLSD >>