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サーティンキュー

文章を書くこと自体が楽しい!












★鷲が19歳の頃に井上光春の「文学伝習所」と云う所に行って「文学」というのを習いに行ったことがあった。同時に19歳の頃は新宿のジャーナリスト教室に行って「ジャーナリスト」の成り方を習いに行っただったのだが、なんと、ジャーナリスト教室は無料だった。最初は8万円という金額設定をしていたのだが、何か知らないが無料になり、井上光春の「文学伝習所」は一泊(一日泊まっていた)1万だった。だから全く詐欺行為ではなかった。麻原彰晃なんか、1989年アタリの5分間の沖縄の石垣島の説法で一人30万円くらいとっていたからwww





★井上光春とは、瀬戸内寂聴の3番目の不倫相手だった男。この男と別れるために瀬戸内寂聴は「尼さん」になったわけ。「尼さん」になった原因男が井上光春だった。それよりも今回は「文学伝習所」で一泊して、鷲が一番若かったが、若き「小説家志望」の者たちを語った!ことを書いてみたい。その頃は1979年だったから、一番、小説家志望の若者たちで話題になったのは「限りなく透明に近いブルー」でスターになった村上龍であり、そして彼への「嫉妬心」が凄かった!www その頃の「芥川賞作家」というのは、今の「芥川賞作家」とは比べようがなく「シンデレラ偉人」であった。「芥川賞作家」になった途端に、いままで、ヒッピーやフーテンの類の生活をしていた薬物漬けの生活をしていた男でも「日本を代表の文化人に生まれ変わる!」というような現象。戦後生まれの最初の芥川賞作家の中上健次も、大学不合格だったのに、親には大学に合格したと云って仕送り金を貰っていたが、実態は、20歳から25歳まで、フーテン生活であり、薬物と酒の生活だった。しかし芥川賞作家になったから今も「戦後日本の文化人を代表する一人」である。





★その頃に「芥川賞」を目指す20歳代の若者たちが村上龍批判していた要は、「アレは村上龍の作品ではなくて、編集者が売れることを目的にして書いた作品」とか云うもの。今の2023年12月となっては、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を語る者は日本では誰もいない。今の若者たちは、井上陽水やユーミンの歌は知っているが、1976年に爆発的に話題になった「限りなく透明に近いブルー」という作品を知る者はいないだろう。「薬物とセックス」の小説が未来を開くわけがない。この「限りなく透明に近いブルー」の前に、中上健次の「灰色のコカ・コーラ」という作品もあった。


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★19歳の頃に、新宿のジャーナリスト教室と井上光春の文学伝習所に参加していたが、新宿のジャーナリスト教室は週刊誌の若手記者ばかりの世界で、彼ら「プロ」から見れば、鷲の19歳の頃の文章は全然ダメダメという烙印を押されていたのだが、彼らは今は何をやっているのか?ギラギラと「芥川賞作家」を狙っていた「文学伝習所」の20歳代の若者たちも、今は懐かしい。客観的にみて「小説」とは多くの人々が読まないから【賞】で騙して売っている「商売」なのかもしれない。しかし実は、文章を書くこと自体が鷲は楽しい。「文章を書くこと自体が楽しい」となると「賞」も糞もないのである。


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★「文章を書くこと自体が楽しい!」が鷲の今の境地である。そして他人の「文章」を読むことも楽しい!と鷲の境地はなっている。鷲の文章が「お金」になったのは、実は高校生の頃のみである。あとは今に至るまで「楽しみで書いている!」ということ。しかし常に書いていないとダメだと思っている。自分が常に書いていることで、「プロ」「素人」も関係なく「良い文章」を正確に判断できるからだ。常に文章を書くことが、一番の「老化」を防ぐことである。そして常に文章を書いていることが、あらゆる本を読めることになる。「書くこと、読むこと」は非常に人間とって重要なことである!




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by xuzu9851 | 2023-12-16 20:33 | Comments(0)
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