★「秘教」と「学問」の知識の違いは、「秘教」は絶対に進化しない!ということ。完成された知識だから。それに比べ「学問」は進化ではなくて「変化」するが、絶対に「性エネルギー昇華秘法」まで到達しない!ということ。「学問」で止まっている限りは「人間の素人(六道の人間)」である。映画インディジョーンズは1930年の物語であるが、主人公のインディジョーンズ博士が変人のは「秘教」を求めたからである。鷲が1980年代に見ていた映画で「ナントカの秘法」というタイトルのものが多かったが、それはすべて1930年代を舞台としていた。
★鷲は秘教の人間だということ。20歳代の時は先生もいたし。これは鷲の同年代としては特別なことだということ。しかしその時に得た「秘教」を維持することに力を入れていた!ということ。「秘教家」が退化すると「信仰の人」に堕ちてしまう。「秘教家」にとっては「信仰の者」はダメダメな人間だということ。「信じる」ということはダメだということ。「探求家」でないとダメだということ。ミゲルネリは「意識的信仰」と云う言葉を使ったが、鷲はその言葉を否定している。「盲目的信仰」は一切ダメダメ!ということ。毎日「性エネルギー昇華秘法の実践」をすることは、毎日「太陽神の卍(まんじ)の探求生活!」ということ。