サーティンキュー | |||||
![]() ![]() ![]() ★上は1976年の村上龍の「限りなく透明に近いブルー」。瀬戸内寂聴が出家直前の1973年に書いた「蜜と毒」。そして1963年の大江健三郎の「性的人間」という作品である。この3つの作品はセックスを題材にしている。日本人が「リベラル」という思想に汚染されて、太陽神から分離して、セックスは自由!と思い込んだ時に誕生した作品である。考えてみれば、村上龍の先駆の者の中上健次の作品にセックスと薬物の作品の「灰色のコカ・コーラ」というのがあった。村上龍より中上健次の方がもの凄い勉強家だった!と鷲は思っているのは、村上龍は勉強家ではないからだ。大江健三郎にしろ勉強家。そして瀬戸内寂聴は勉強しすぎてwww 尼さんにまでなった。 ★今や、誰も村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は誰も知らないが、鷲の高校生の頃は、この作品は社会問題にもなった。そして鷲が東京に行って「小説家志望者】ばかりの集会に合宿した時は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の話題で、皆さまたちの話題は持ち切りであった。あの作品は村上龍の作品ではなくて、村上龍が持ち込んだ編集者との共同作品だとか。なんせ、芥川賞を狙う若者たちの集会だったから、目標は「村上龍のようなスターになること!」だったのである。一日6時間も小説を書いている!という、皆さまたち、の集まりだったので、ナントか賞をとって偉くなった者もいただろうwww ![]() ![]() ★1970年代から1980年代は、村上龍のような若き「芥川賞の作家はスター」だったのである。歌手や俳優たちよりも、芥川賞の作家の方が「知的」ということで、ステータスが高かった!その位置を狙う「小説家の合宿所」まであった!ということ。歌を毎日6時間も歌うのと文章を毎日6時間書いているのは、違う。河島英五は、あの当時、歌を毎日6時間練習していたのだが、文章を毎日6時間書いている者たちもいた!ということ。村上龍に対しては、若き小説家たちは「嫉妬」と「憧れ」の両方だった!と記憶しているが、歌手志望の者たちと違うのは、彼らと話すと「言葉に力がある!」ということ。「言葉のみ」で生きよう!としていたから。 ★しかし今や、芥川賞作家という存在もたいしたことがない。今は、だ~~れも小説を読まないから。石原慎太郎以来の芥川賞の作家の大スタ―は村上龍だったのだが、今や彼もいるか?いないか?である。石原慎太郎も村上龍も「リベラル思想」だったが、それは今やオワッタのである。その次は見えてない。「ジャンケンのチョキの次はグー」だと見えてない。だから日本全体が次の世界が見えてない!と云う今の現状だということ。上の「限りなく透明に近いブルー」「蜜と毒」「性的人間」は日本人全体の思考が「リベラル」に汚染された時代の作品だった!のである。 ![]()
by xuzu9851
| 2024-02-09 22:44
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